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国指定文化財・国登録文化財

更新日 2013年4月26日(金) ページID:D000826

概要

市内に所在する国指定文化財および国登録文化財を紹介します。

内容

市内には、国の指定文化財が3件、国の登録文化財が3件あります。

国指定文化財

種別 種類 名称 所在地
重要文化財 彫刻 木造阿弥陀如来坐像 川田谷 (泉福寺)
重要文化財 考古資料 熊野神社古墳出土品

川田谷 (熊野神社)

重要文化財 考古資料 埼玉県後谷遺跡出土品 桶川市歴史民俗資料館

※熊野神社古墳出土品については、現在埼玉県立歴史と民俗の博物館に収蔵されています。

国登録文化財
種別 種類 名称 所在地
登録有形文化財 建造物 島村家住宅土蔵 寿
登録有形文化財 建造物 武村旅館

登録有形文化財 建造物 小林家住宅主屋 寿

木造阿弥陀如来坐像(重要文化財・彫刻)

阿弥陀如来坐像
泉福寺の木造阿弥陀如来坐像

 荒川に面した高台に建つ泉福寺は、東叡山勅願院円頓房泉福寺と号し、平安時代の天長6年(829)に淳和天皇の勅願により、後の天台宗第3代座主となった慈覚大師円仁が開基したと伝わる天台宗の名刹です。緑に囲まれた境内には山門、本堂、鐘楼をはじめとする建物が静かなたたずまいを見せています。

 この寺院に安置されている木造阿弥陀如来坐像は、高さ89.3センチメートルで、ヒノキの一材から彫りだし前後に割った割矧造りで造られており、漆箔が施されています。 胎内の銘文から鎌倉時代の弘長2年(1262年)に作られたことが知られています。

 平安時代後期の仏師・定朝が確立した「定朝様」の様式に基づく優美で端正な作風の阿弥陀さまです。かつては「大堂」と呼ばれる阿弥陀堂のご本尊として安置されていました。現在は文化財としての重要性に鑑み、寺院内の別の場所に安置されています。

熊野神社古墳出土品(重要文化財・考古資料)

 熊熊野神社古墳は川田谷地区の台地の南先端部、大きな支谷を見下ろす高台に立地する円墳です。ここから出土した熊野神社古墳出土品は、昭和3年の社殿改築の際に、墳頂部を掘り下げ整地を行なっていた氏子達によって発見されました。偶然の発見であったため、出土に関する詳細は不明です。

 重要文化財に指定されているのは次のとおりです。

  • 【玉類】:硬玉勾玉(こうぎょくまがたま)4個、瑪瑙勾玉(めのうまがたま)2個、瑪瑙棗玉(めのうなつめだま)1個、碧玉算盤玉(へきぎょくそろばんだま)1個、碧玉管玉(へきぎょくくだたま)67個、瑠璃小玉(るりこだま)10個
  • 【石製品】:石釧(いしくしろ)6個、碧玉紡錘車(へきぎょくぼうすいしゃ)4個、滑石紡錘車(かっせきぼうすいしゃ)1個、碧玉巴形石製品(へきぎょくともえがたせきせいひん)2個、碧玉筒形石製品(へきぎょくつつがたせきせいひん)4個
  • 【銅製品】:筒形銅器1個、(附)朱小塊(若干)

 発見当初は、このほかにも鏡、刀剣類などがあったと伝えられていますが、残念ながら不明です。

 熊野神社古墳の築造は4世紀後半と考えられ、県内でも最古級の古墳として知られていますが、この出土品は当時の大和政権との深い関係をうかがわせるもので、大和政権の東国進出を物語るとても貴重な文化財です。現在は埼玉県立歴史と民俗の博物館に保管されていますが、桶川市歴史民俗資料館で複製品を展示しています。なお、熊野神社古墳は県指定史跡に指定されています。

熊野神社古墳出土品
玉類
熊野神社古墳出土品2
石製品・銅製品

埼玉県後谷遺跡出土品(重要文化財・考古資料)

 後谷遺跡は、桶川市赤堀2丁目に所在する縄文時代後期から晩期(3,500年~2,500年前)の低湿地の遺跡です。工業団地造成になどに伴って、これまでに約1万平方メートルにおよび発掘調査が行われ、現在の地表の3~5m地下から、赤堀川の氾濫などにより埋まった縄文時代の生活の跡が当時の姿のまま見つかりました。

  後谷遺跡から出土した膨大な出土品のうち、土器・土製品324点、木器・木製品52点、漆製品13点、石器・石製品256点の合計645点が平成23年6月27日に重要文化財に指定されました。
様々な形の土器や多数の石器に加えて、多彩な土製品の出土も注目されます。木質の耳飾りが装着されたまま残っていた土偶や、形状や寸法が多彩で、作りが緻密なうえに赤彩や漆も良好に残っている大量の耳飾りなどは、後谷遺跡を特徴付ける遺物です。

 また木器・木製品は、弓や櫂状木製品が多く、それらの未製品と考えられる資料も充実しており、当時の生業や木工技術を復元するうえでとても重要です。漆製品についても飾り弓やかんざしに加え、櫛の歯が残っている赤漆塗りの櫛が複数出土している点も後谷遺跡の出土品を特徴づけるもので、縄文時代の漆工芸技術を復元するうえでとても貴重です。石器・石製品の内容も多彩で、特に硬玉を主体とした玉の出土量も関東地方の他遺跡に比べて多いのが特徴です。

 バラエティーにとんだ様々な出土品をとおして、当時の生業や技術、精神活動を知ることができ、大自然の中でたくましく生きていた縄文人たちの豊かな生活を身近に感じることができます。出土品の一部は桶川市歴史民俗資料館にて展示されており、実際にご覧いただけます。

後谷耳飾り
耳飾り
漆塗りくし
漆塗りのくし
土偶出土状況
みみずく土偶の出土状況

島村家住宅土蔵(登録有形文化財・建造物)

島村家住宅土蔵
島村家の3階建て土蔵

 江戸時代後期の天保7年(1836年)に建てられた桁行六件、梁間三間の三階建ての土蔵です。島村家は桶川宿の穀物問屋木嶋屋の 総本家で、土蔵の屋根の鬼板には屋号の一字をとった「木」の字が刻まれています。この土蔵は、天保の大飢饉にあえぐ 人々に仕事を与えるために建築された土蔵で、その報酬によって多くの人が救われました。そのようなことから「お助け蔵」 などと言われたそうです。

 現在は黒漆喰の壁がトタンで覆われていますが、どっしりとした作りと堂々としたたたずまいは、今も昔も変わることが ありません。

武村旅館(登録有形文化財・建造物)

武村旅館
武村旅館

 桶川宿には、大名や公家などの宿泊施設である本陣、脇本陣のほかに、中山道を往来する一般庶民の宿である旅籠が数多くありました。その数は、江戸時代末期の天保年間(1840年頃)には36軒を数え、宿内全戸数の1割を占めていました。この武村旅館は、嘉永5年(1852)の建築です。皇女和宮が中山道を下向した文久元年(1861)には、ここで紙屋半次郎が旅籠を営んでいました。
明治末期頃には、現在の建物正面東側部分を突き出させた寄棟造りに改築したと思われますが、建築当時の間取りは現在もほぼ引き継がれています。大戸、大黒柱、階段、根太天井(2階の床板をそのまま1階の天井とする構造)などに当時の姿がよく伝えられた貴重な建造物で、現在も旅館として営業をしています。

小林家住宅主屋(登録有形文化財・建造物)

小林家住宅
小林家住宅主屋

 小林家住宅主屋は、江戸時代末期頃に建てられた旅籠(宿屋)です。発見された棟札から、穀屋(古久屋)吉右衛門が『子三月吉日』に建てたことがわかります。この『子』の年がいつかは不明ですが、文政8年(1825・酉年)と文政10年(1827・亥年)に桶川宿に大火があったこと、また文久元年(1861・酉年)皇女和宮の下向時の割書帳にはすでに吉右衛門の名が記されていることなどから、文政11年(1828)、天保11年(1840)、嘉永5年(1852)のいずれかの『子』の年と考えられます。文政10年の大火は12月の出来事ですので、翌文政11年3月の建立とすると災害後の復旧時期としては少々早いようにも考えられます。従って、天保11年もしくは嘉永5年の建立の可能性が高いものと思われます。

 その後、小林家が建物を買い入れ、材木商を営みました。それに伴い大きく改修され、旅籠当時の間取りは図面に残っているのみですが、外観は建築当時の姿をとどめています。2階は中廊下式になっており、旅籠当時の部屋割りの名残と考えられます。

 構造の要となっているのは、二間半の幅で2本建てられた大黒柱です。屋根を支える小屋組は和小屋構造といわれる伝統的なもので、太く丈夫な部材を使用しています。建物正面の2階には六間にわたって出窓を出し、格子戸をはめこんでいます。宿場町当時の旅籠のたたずまいを今に伝える貴重な建造物です。

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お問い合わせ先

生涯学習文化財課 文化財担当

電話:048-786-3211 ファクス:048-786-0334
メールフォーム

桶川市大字上日出谷936番地の1(仮設庁舎)

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